歴史的西洋館

開港後、山手居留地270区画の全容が固まったのは明治10年代です。外国人墓地、山手公園、学校、病院、警察署、消防署、劇場もつくられ、教会も山下(関内)居留地より移ってきて、山手は我が日本国で最大最良の西洋館の街になりました。しかし、大正12年の関東大震災で壊滅的な打撃を受けました。現在の山手で見ることのできる西洋館は、大正末期から昭和初期に建てられた震災復興西洋館です。

St・ジョセフ・ベーリック・ホール 
昭和5年築  木造2階建  設計=J.H.モーガン

現存する旧外人住宅の中ではもっとも大きい規模と質を有する。モーガンの代表作のひとつといえ、建築は様式としてスパニッシュ系統のもので、アーチを持つ玄関ポーチ緩やかなイタリアンタイル風の瓦屋根、瓦屋根を持つ煙突、クワットレフォイル(四弁峡間飾り)など多彩な装飾をもち、室内も広いバンケットルームとも見られる広間がある。建築主のベーリック氏はイギリス人で1898年来日し、横浜とロンドンに住んで貿易商として活躍した。
山手111番館 
大正15年築  木造2階建  設計=J.H.モーガン

この住宅は東側に傾斜した地形を巧みに利用して建てられています。西側の正面から見ると2階建てになっています。設計者は建築家モーガンで、様式としてはスパニッシュの系統です。中央玄関前には、アーチ状の柱をもったパーゴラ(藤棚)が、ポーチを兼ねています。内部は、中央に2階まで吹き抜けにした居間兼応接室があり、2階は吹き抜けを取り囲む回廊があって、小規模ながら豊かな空間が創り出されています。建築主はラフィンと言われ外人両替商でした。
山手80番館遺跡
明治末〜大正初期築  鉄筋補強煉瓦造3階建(建築当時)

この赤レンガの構造物は、関東大震災の異人館遺跡で、震災当時はマクガワン夫婦の住居となっていたところです。遺跡は、煉瓦壁体が鉄棒により補強されており、耐震上の配慮がなされていましたが、床部のせりあがりや壁体の亀裂が随所にみられ、関東大震災の被害状況を物語っております。現在、地下室部分を残すだけですが、浄化槽をも備え、古き良き横浜の居留地外国人の華やかな暮らぶりがうかがえます。
イギリス館  
昭和12年築  RC造2階建

広い敷地にゆったりと建つ大規模な住宅です。英国総領事の公邸であったため格調のある建物と言えます。建築当時の図面が残されており、各部屋の用途がわかります。この建物には北側に主出入口があり、南側には西からサン・ポーチ、客室、食堂が配され、その中央に張り出し窓があります。 2階は寝室、衣装室など私的用途の部屋となっています。設計者は上海在住のイギリス人建築家であったようです。 
山手234番館 
昭和2年頃築  木造2階建  設計=朝香吉蔵

外国人向け共同住宅(アパートメントハウス)として建築されたこの建物は、建築当時4つの同一形式の住戸が、中央部の玄関ポーチを挟んで、対称的に向かい合い、上下に重なる構造を持っていました。また各住戸は合理的かつコンパクトにまとめられ、往時のモダンな生活様式が伺えます。また洋風住宅の標準的な要素である上げ下げ窓や鎧戸、煙突などが、簡素な仕様で採用されており、関東大震災後の洋風住宅意匠の典型と言えます。
エリスマン邸  
大正15年築  木造2階  設計=A.レーモンド

当初山手町127番地に建てられましたが、昭和57年マンション建築のため解体され、平成2年に現在地に再現されました。設計は、多くの日本人建築家を育てて、日本で叙勲を受けたアントニン.レーモンドです。建物は、煙突、ベランダ、屋根窓、上げ下げ窓、鎧戸といった異人館的要素を持ちながら、レーモンドの師匠である世界的建築家F.L.ライト(旧帝国ホテル設計)の影響が細部意匠に見られ、特異な西洋館になっていっます。建築主エリスマンは、戦前最大の生糸貿易商の横浜支配人でした。
BLUFF18番館  
関東大震災(大正12年)直後築  木造2階建

当初山手町45番地に建てられ、戦後カトリック山手教会の司祭館として平成3年まで使用されてきました。同年解体されることになったため、横浜市が部材の寄付を受け、イタリヤ山庭園内の現在地に移築復元されました。建物は、フランス瓦の屋根、暖炉の煙突、ベイウィンドウ、上げ下げ窓と鎧戸、南側のバルコニーとサンルーム、中廊下型の平面構成など、震災前の外国人住宅の特徴を残しながら、外壁は震災の経験を生かし、防火を考慮したモルタル吹き付け仕上げとなっています
外交官の家  
明治43年築  木造2階建  設計=J.M.ガーディナー

明治の外交官内田定槌の旧邸宅の寄贈を受けた横浜市が、平成9年にイタリア山庭園に移築復元したもので、建物は塔やがつき、天然スレート葺きの屋根、下見板張りの外壁で、アメリカン・ビィクトリアン様式「イギリスで流行した豪華な装飾様式の流れを汲むもの」で建てられています。1階に食堂や大小の客間など重厚な部分が、2階には寝室や書斎など生活感あふれる部屋が並んでいます。これらの部屋はアーツ・アンド・クラフツ「19世紀イギリスで展開された美術工芸の改革運動」のアメリカにおける影響を色濃く伝えています。
山手聖公会教会堂  
昭和6年築  RC造  設計=J.H.モーガン

山手地区では、カトリック教会と並んで、モニュメンタルな相貌をもつ建物で、イギリスの10〜11世紀頃の伝統様式であり、アングロ・サクソン風とノルマン風とを混在させたデザインです。外壁はすべて大谷石貼りで、一見すると重厚な印象を受けますが、正面の塔や建物のコーナーなどのディテールは歳月を経た証拠である風化も手伝って、柔らかさと暖かさを感じさせています。
フェリス女学院  
昭和4年築  RC造3階建

日本最初の女学校。ヘボン婦人が経営していた塾を受け継いだアメリカ人婦人宣教師キダーによって明治3年に創設された。現在他に校舎が建築されたのは、明治8年である。その後、震災で崩壊し、現在の校舎は昭和4年の竣工である。山手本通りからは側面しか見えないが、中庭に廻ると鉄筋コンクリート3階建の堂々とした全貌がわかる。外観を覆う鉄平石は、一枚一枚に生徒の一銭貯金が使われたという。伝統を誇る校舎、屋上までの通し柱とアーチ型の窓はゴシック調ではあるが、モダンな建物として憧れとともに人目を引く。
カトリック山手教会  
昭和8年築  RC造  設計=J.J.スワガー

開港後、山下(関内)居留地に建ったカトリック教会「横浜天主堂」が前身で、明治39年に現在の地に移転し、煉瓦造りの壮麗な会堂が建てられましたが、関東大震災で倒壊しました。現在の会堂はチェコ人の建築家スワガーの設計で、ネオ・ゴシック・スタイルによります。鐘楼を兼ねる尖塔は、横浜雙葉学園の尖塔と山手聖公会教会堂の塔をあわせ「山手の三塔」と呼ばれています。
山手214番館  
昭和初期  木・RC造  設計=不明

山手214番館は山手の西側に位置し、横浜共立学園の敷地内に所在しています。大正末期から昭和初期の西洋館の中で、規模も大きく横浜を代表する西洋館です。かつて、スウェーデン領事館として利用されていたこともありました。建物は、傾斜地の特性を活かして建てられ、大きな誇張屋根を持ち、2階の窓は屋根窓の形式をとっています。間取りは、玄関ホールと階段を中央に、左右に主たる部屋を配した中廊下型のプランです。

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