横浜外国人墓地資料館 外国人墓地は1854年日米和親条約締結のために再来航したペリー艦隊の乗組員ロバート・ウィリアムス二等水兵が死亡、その埋葬地となったのが始まりです。その後、日本に近代風刺漫画を伝えたワーグマンや数々の洋館を設計したモーガンなど、さまざまな知識や技術を提供し、日本の近代化に多大な貢献をした人達や、攘夷の嵐が吹き荒れた幕末の日本で、その命を落ちしていった人達も眠っています。資料館は、そのような人達の生涯や当時の記録などをパネルで紹介しています。 |
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神奈川近代文学館 夏目漱石・三島由紀夫・芥川龍之介など神奈川にゆかりの深い文学者の作品や資料を展示しています。テーマ別に第1、第2,第3の展示室があり、近代文学の歴史を訪ねる博物館です。閲覧室には近代文学の関係資料を収集保存しています。文学全集、各種文芸誌、神奈川ゆかりの図書、県内の同人誌なども無料で閲覧できます。また、ホールもあり館独自の講演会や一般の方々の文化活動にも利用されています。 |
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大佛次郎記念館(おさらぎ じろう) 大佛次郎は、横浜に生まれ、そして横浜を最も多く描いた作家です。中でも霧笛や幻灯は開化期の横浜を愛惜をこめて描いた名作として今も多くの人々を魅了しつづけています。、また、鞍馬天狗の作者としても親しまれ、半世紀以上にわたる文筆活動は常に旺盛な開拓者精神に溢れていました。広い視野から時代と人間の光と影をヒューマニスチックにうたいあげたパリ燃ゆや天皇の世紀は代表作です。 |
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山手資料館 当館は明治42年に旧園田邸として創建され、山手十番館邸内にに移築したものである。明治の木造西洋館としては、横浜唯一の遺構である。館内に展示されたかずかずの資料もまた、当時の文化風俗・歴史をしのぶ貴重なものである。当該資料館は、横浜におけるこのような歴史的資料の一層の充実をはかり、そしてそれを保存して後世に伝える重要な役割を担っています。 |
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港の見える丘公園 |
ヨコハマ猫 の美術館 |
山手の ![]() 野良猫 ![]() |
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著名作家のドローイング、版画、油彩画、立体作品などコレクションされている。 | 元町公園や丘公園等緑が多く残る山手町には多くの猫が棲みついています。 |
岩崎博物館(岩崎ミュージアム) 開港後、居留地外国人の娯楽と教養の中心の一つにゲイエティ・シアター(通称ゲーテ座・明治3年オープン)という劇場がありました。ここではプロだけでなく、アマチュアの劇団や管弦楽団も公演を行っていました。その後、山手に移転したゲーテ座の跡地にこの岩崎博物館が建てられたのです。地下1階にはゲイエティ・シアターを記念して山手ゲーテ座が造られています。その他にギャラリーと併設して服飾資料・調度品・美術工芸品なども展示されています。 |
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元町公園 昭和5年に開園され、緑豊かな森が形成されている。園内を巡る起伏に富んだ散歩路を歩くと気持ちがいい。桜の季節は花見客で賑わう。夏は公園内の緑に覆われた50bプールで、つかの間の避暑もいいものだ。明治初期、ジェラールは西洋瓦工場と船舶の給水会社を経営しており、この地は水屋敷と呼ばれていた。公園内には、西洋館の「エリスマン邸」と「山手80番館遺跡」がある |
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山手イタリア山庭園 この地は、明治19年までイタリア領事館が置かれていたことからイタリア山と呼ばれていました。平成3年に開園され、園内にはブラフ18番館や旧内田邸の外交官の家などの西洋館があり、庭園は水や花壇を幾何学的に配したイタリア式で、季節毎に花が咲き誇るので花の洋館と呼ばれています。また、庭園越しに一望できるランドマークタワーを中心としたMM21地区や、関内周辺の景観は山手随一です。 |
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山手公園とテニス発祥記念館 山手公園は1870年(明治3年)に居留外国人の手によってつくられた日本初の洋式公園で、公園内のヒマラヤスギの大きさが歴史を感じさせます。1878年には、日本最初のテニスクラブであるレディズ・ローン・テニス・クラブ(LLTC)がこの地に誕生しました。以来、外国人の公園として、戦後は市民のスポーツと憩いの場として歩んできました。女性中心のテニス・クラブだったLLTCも横浜インターナショナル・テニス・コミュニティーと名前を変えて、今も公園内にコートがあります。こうした山手公園とテニス発祥の歴史を記念してテニス発祥記念館が建築されました。 |
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YC&AC(横浜クリケット&アスレチック倶楽部) 居留外国人達の間ではスポーツも大変盛んでした。1884年に陸上と球技の団体が統一され、横浜クリケット&アスレチック倶楽部ができました。現在も敷地面積1万坪のグラウンドが矢口台にあり、外国人の為の会員制倶楽部になっています。山手駅から貝塚通りに至る道には「YC&AC通り」と名づけられ、地域に親しまれています。また、一日一組限定で、ウエディングパーティーを開く事ができ、日本人にも開放されています。 |
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根岸競馬場と一等馬見所
日本初の洋式競馬場として1866年(慶応2年)に誕生した根岸競馬場は、昭和17年までレースが行われていました。競馬場跡地は戦後長く米軍に接収されていましたが、返還の後、昭和52年に競馬記念公苑、昭和57年には根岸森林公園がオープンしました。また、昭和7年に建設された一等馬見所(スタンド)がそびえています。一等馬見所の北側に広がるモーガン広場は、山手の数々の西洋館を設計したJ・H・モーガンの名をとっています。 |
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